途中大規模ながけ崩れで林道が付け替えられている部分から崩壊部分を望む。 軌道もこのルートで通っていたはずです。 落石覆いも一部で天井が抜けており、林道が常に自然の猛威に曝されているのを見せ付けられます。


付け替え部分を抜け元の林道に復帰すると林道橋横に橋台、直下に橋脚という箇所が何か所も現れます。 滝をバックに木橋を渡る列車が見られたのでしょうね。ここも1級線ですが段々鉄橋跡でなく木橋の割合が増えてきたような・・・


渡合温泉手前では林鉄跡を利用した現林道と別に並行して「しでのき遊歩道」という道が並行しています。 こちらが林鉄跡と紹介されている案内もありますが、こちらは明治期につくられた牛馬道だそうです。
見事な石積みの擁壁や路盤があり、確かに鉄道っぽくも見えますが勾配やカーブはきついです。 2013年4月現在は残念ながら補修が成されておらず大部分が立入禁止となっていました。


渡合橋で付知川本流にを渡るのはこれで最後。ここは巨大な橋台、橋脚が残ります。 橋脚の高さや幅広な構造からすると両端が頬杖橋で真ん中は上路トラス橋(木製トラス?)だったのではないかと思われます。 渡合側の橋脚。その背後には木々に遮られてわかり難いものの石積み橋台も残っています。 渡合橋を渡って左に曲がるとすぐに森林鉄道1級線終点の渡合停車場です。



渡合停車場。真ん中のスペースに線路が敷かれており、その周りに建物があるというレイアウトは変わっていないと思われます。 1段高いところには付知営林署付知製品事業所の建物も残っており木材輸送の拠点でした。 林鉄現役時は電気が来ていたはずですが現在電気は通っていません。 今でも休憩所や資材置き場としては使われている様子。 建物自体は新しいようですが基礎の石積みは林鉄時代のものと思われます。 手前のスペースが線路跡。 この先は2級線(作業軌道?)が白巣峠方面へ続いていたようです。 林道で白巣峠を越えると王滝林鉄白川線へとつながります。
また渡合橋の付知側からは西沢線(2級線)が上流へ分岐していました。


全国森林鉄道(西 裕之著 JTBキャンブックス)によると機関車はのべ13両。 酒井6t機(寸法的には5t機と同じ)が主力で、後は協三5t機やプリムス(米FateRootHeath社製)4t機、加藤5t機が各1両いたようです。
なお加子母村誌(加子母村誌編纂委員会編)には酒井3.5t機らしき機関車が写ってますが、形態や塗装からすると東京営林局千頭森林鉄道の3.5t機のようです。 同車が付知に移籍して来ていたのか千頭の写真を流用したのかはわかりません。
林鉄現役時の写真は少ないのですが、酒井機のラジエターグリル上方に小さな円形のエンブレムが付いているのが特徴的でした。
各機には「No.5」というようにナンバーが振られていたようですが名古屋営林局内全体で通しの管理番号と思われます。

1954(昭和29)年以降の在籍車両数は以下の通り。
<各年度4月1日時点の在籍車両数> 1958(昭和33)年分は資料が見付かりませんでした
 195419551956195719591960196119621963
ガソリン機関車886641320
ディーゼル機関車112344420
運材台車198198221235244120※1343610
モーターカー111343210
※運材台車に関しては1961(昭和36)〜1963(昭和38)年の統計では木製トロと鉄製トロ(モノコックトロなのかそうでないのかは不明)が別に集計されており、1961(昭和36)年は鉄製130台・木製4台、以降は鉄製のみ。

参考:全国森林鉄道(西 裕之著 JTBキャンブックス)
 名古屋営林局統計書(名古屋営林局)
 一世紀の年輪(名古屋営林局)
 付知町史 通史編(付知町編)
 加子母村誌(加子母村誌編纂委員会編)
 付知百年付知百年 町制施行100周年記念写真集 (付知百年編集委員編(付知町文化財保護審議委員町教育委員会内))

撮影日 2012.12.01
2013.04.27




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