坂祝のスイッチャー群



木曽川に山が迫る谷間の入口にある坂祝駅。 ここはセメント会社のサービスステーションが集まり高山本線岐阜口の貨物拠点駅でした。 しかし2007(平成19)年3月に貨物列車の運行がなくなり現在では側線跡と一部の機関車が残るだけです。 これは坂祝駅とその周辺で見られた多彩なスイッチャーたちの記録の一部です。



猿啄(さるばみ)城跡展望台から見た坂祝駅と専用線群の全景。 丁度太平洋セメント専用線でOD25が2編成目のセメントタンク車を駅へ押し出しているところです。


太平洋セメント線


坂祝で最後まで動いていた太平洋セメント専用線の1971(昭和46)年製日立25t機OD25。 ”OD”のOは旧社名小野田セメントの頭文字です。 見た目は速星のスイッチャーと同タイプですがこちらは駆動方法がロッド式です。 坂祝に来るまでは参宮線宮川の小野田セメント専用線にいたようです。



タキ1900を推進運転で坂祝駅へと向かうOD25。 編成が長いため2編成に分割して美濃サービスステーション(以下SS)の荷役線にタキを入れているため、1度の入換でSS〜坂祝駅を2往復する姿が見られました。



荷降ろし設備兼車庫に収まるOD25(左)。太平洋セメント色になる前の黄色い旧小野田セメント色です。 右奥は1960(昭和35)年製の東洋電機20t機DB02です。



珍しい東洋電機製のスイッチャーですが末期は専用線の最奥部に放置されており、坂祝貨物廃止よりも前には姿を消していました。



坂祝で最後まで残るスイッチャーとなったD804。 2010年5月現在でも庫内に佇んでいるのを確認してます。
この機関車はいわゆる「半キャブ」協三工業10t機で、以前は関西本線八田駅から分岐するチチブセメント専用線にいました。


デンカセメント線


デンカセメント専用線の1974(昭和49)年製協三20t機DB2001。 逆L字型に横へ長く延びたエギゾーストパイプが特徴です。 貨車の出入りが少なかったのか実際に動いているところは見ることができませんでした。
デンカセメントの貨物扱いは太平洋セメント線より早く無くなったようで、末期はこの機関車も見られなくなっていました。



デンカセメントの荷降ろし設備兼スイッチャー庫は駅のすぐ横にあったので、このようにホーム上からもDB2001をよく見ることができました。


小西砕石線


セメントではなく線路のバラストをホキに積み込み発送していた専用線。 元名鉄DB-75ともう1台の日車15tが在籍していました。 DB-75(写真左)についてはこちらを参照下さい。 もう1台は1969(昭和44)年製でNo.5(写真右)という番号がありました。
この専用線は他のセメント線よりも早くに貨物扱いをやめていたようで機関車だけが長らく放置されていました。


おまけ


坂祝の貨物扱い廃止後しばらくしてOD25は名古屋臨海鉄道で保線車として再起しました。 今では塗装も白い太平洋セメント塗装から黄色に青帯のよりスイッチャーらしい色に変わっています。 が、近くで目にできる機会は相変わらず少ないです(- -)



坂祝駅の貨物扱い廃止後名古屋臨海鉄道の保線モーターカーとして移籍したOD25。 たまたま保線作業に出かけていく姿を見ることができました。



先代のモーターカーTMC100を牽引して出かけていきます。 TMC100は保線トロとの連結器アダプター代わりのようでした。 こうして見るとスイッチャーとは言え保線モーターカーと比べれば大きくて機関車らしいですね。


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