タム4000形タム4011〜4013のいずれかのタンク体流用と思われる据え付けタンク。 笹津線とは直接関係ありませんがこれも興味深いです。 懐かしい旧日本石油とカルテックスのマーク。中央を横切る道路が笹津線跡です。 現役時は踏切があったのでしょうね。


大沢野八木山駅付近にある枕木の柵。 奥の道路が笹津線跡です。駅自体は道路整備で痕跡がなくなってしまったようです。 大沢野八木山駅の先は一般道路から歩行者自転車専用道に。 そんな山奥ではないのですが看板の通りだそうで・・・。


山間の線路の雰囲気が漂いますが右は住宅地。 山側の土留めにはレールや枕木が使われており、鉄道の痕跡がそこここに見られます。 山間区間が終わると間もなく敷紡前駅跡。プラットホームの跡に立つ立派な桜の木が出迎えてくれます。 道路手前から桜の木にかけてプラットホームがありました。


桜の根元にはホームの残骸が残ります。 3連運転に備えてホームを延長した名残でしょうか。 延長部には転落防止用の柵も残ります。 国道41号線を越えてすぐの場所が敷島紡信号場跡。 右の道路案内表示板方面が笹津線、左のワゴン車が見える方向が敷島紡績専用線跡。


敷島紡績笹津工場(現在はシキボウ富山工場)〜笹津1.1kmは富山鉄道廃止から富山地鉄笹津線再開業までの間も国鉄笹津駅から分岐する専用側線として運行していたようです。 笹津線開業直前には隣接する日本カーボン富山工場専用線と同じく日通のスイッチャーが入換を担当していたようです。
笹津線開業後は笹津線本線と専用線の分岐点に敷島紡信号場が置かれ、工場〜笹津をデキ6502が貨物列車を牽引していました。 なお大久保町での貨物扱いもあり、電車が貨車を牽くこともあったようです。


敷島紡績の鉄道門。ここにデキ6502が貨車を牽いて出入りしていました。 工場内には貨物ホームや上屋が残っているのが見えます。


終点笹津に向けて築堤を下ります。 高山本線から見るとこんな感じに立派な築堤が続いています。


右の道路が笹津線跡。笹津駅構内の敷地は残っています。 かつての笹津線乗り場には現在JR笹津駅舎(無人)が建っています。 跨線橋下に僅かにホームが残っています。


笹津線の車輌
笹津線、射水線と富山市内線、高岡軌道線(現万葉線)の鉄軌道直通用に作られたデ5010形。 先行でデ5000形4両も製造されましたがこちらも大差はありません。
現在では万葉線の除雪機械として残っていたデ5022号が新型除雪車導入で使われなくなり米島口車庫で保管されているものが唯一現存するのみです。 詳しくは万葉線の除雪電車をご参照下さい。
貨物牽引用のデキ6500形デキ6502。 1925(大正14)年川崎造船所製で元は庄川水力電気小牧発電所建設の専用鉄道で使われていた4両の電気機関車の1台。 越中鉄道に転属して(後の射水線)KEL1形KEL1、後にKEL10と改番。 富山地方鉄道となった後の1949(昭和24)年にデキ6500形デキ6502となりました。 凸形電機ながら乗務員室扉が前面中央にある特異な形状はスイス製の吉野鉄道1形(後に近鉄吉野線デ1形3〜5→デ81形となる)をモデルにしたとも言います。 車籍抹消後も車体を黄色く塗られて1990年代初めまで南富山車庫構内の除雪機械として残っていました。



2015.05.17追記
リンク先のはーさんさんが笹津線現役時沿線にご在住で大変貴重な現役当時の様子をご記録なさっています。
流石は地元で各年代の様々な記録があり見応え十分です。 笹津〜敷紡前のデキ牽引貨物は有名でしたが、大久保町駅の貨物扱いでデ5010が貨車を牽いていたとは驚きでした。
富山地鉄 1958年(昭和33年)〜1963年(昭和38年) [その2] 富山市内軌道線・笹津線
晩年の富山地鉄,笹津線・射水線(1972,63年)


参考:RM LIBRARY107 富山地鉄笹津・射水線−デ5000系ものがたり−(服部 重敬著 ネコパブリッシング)
 トワイライトゾーンMANUAL8 巻末付録昭和26年版全国専用線一覧表(ネコパブリッシング)

撮影日 2010.09.26

富山地方鉄道笹津線1へ 廃線奇行へ


inserted by FC2 system