寒狭川橋梁田口側の橋台、橋脚。手前にはコンクリートガーダーも転がっています。 一見して左の橋脚は不自然な形をしており、向かって右側の凹みに後から付け足したような脚が載っています。 田口側1連目が木橋だったのがコンクリート桁を直載せするように架け替えられた際に追加されたのでしょう。 寒狭川の流れには橋脚2本とコンクリートガーダーが何本も転がっています。 奥に見える椹尾側橋台にも支承を付け足したような跡が見られます。


寒狭川橋梁の謎?
寒狭川橋梁は何度も流失しているようでその度に架け替えが行われていたようです。 国立公文書館所蔵の帝室林野局資料には「本谷橋梁」という表題で書きかけの木造上路トラス橋の図面がありました。 とは言え水面からトラス桁下面までのクリアランスがあまりに少なく実際に架けられたものなのかは疑わしく、試案として出されて没になったものかも知れません。
確実に分かっているものは1946(昭和21)年春に竣工したという木造下路トラス橋(林野庁の森林鉄道サイト中の「田口森林鉄道寒狭川橋梁・新城営林署」に画像あり)のみです。 1945(昭和20)年度中に2回も流失したようで太平洋戦争敗戦直後の資材難時代に架橋されています。
現在残る橋台や橋脚はこの木造下路トラス橋のものを流用して架け替えたコンクリート橋のものです。 河中に橋脚を2本追加して、既存の橋脚、橋台も改修して4連のコンクリートガーダー橋としたようです。


県道33号線と松尾集落を結ぶ道に架かる松尾橋。対岸の橋の袂を椹尾線がアンダーパスしていました。 なお松尾橋が吊り橋の時代は踏切になっており平面クロスしていたようです。 アンダーパスの開口部は田口側にだけ残り、椹尾側は塞がれています。 田口側も半分土砂やごみで埋もれているので非常に分かり辛いです。


暫くは舗装道が続き、途中三河田口起点1,774m地点で本谷線を分岐。 山ノ神作業軌道が通っていた山ノ神沢もこんな状態で通り過ぎます。 道路わきの石積みが古いくらいで遺跡らしい遺跡は椹尾谷を渡る個所にある木橋跡くらい。 橋脚4本で桁5連のトレッスル橋だったようです。



椹尾集落跡手前の中山橋の下に残る木橋の橋台と橋脚のコンクリート部分。 桁2連のささやかな橋だった様子。椹尾線の平面図、縦断面図は見つかっておらず正確な線形、橋梁位置などはわかっていません。


田口森林鉄道椹尾線1へ 田口森林鉄道椹尾線3へ 新城営林署の森林鉄道TOPへ


inserted by FC2 system